祓い清めの神道LIFE

断捨離やミニマリスト、マインドフルネスが流行っていますが、それってもともと日本にあった神道と同じなんじゃない?と思ったので、最近神道的生活をしています。

【お稲荷さん-3】天命稲荷 @長野県戸隠

長野県の戸隠に行きました。

 

隣接している、戸隠キャンプ場に泊まっていたので、ささやきの小径を通って、

隋神門 → 九頭竜社 → 奥社 → 天命稲荷 → 鏡池

→ 奥社参道入口 → 逆川遊歩道 → 戸隠キャンプ場

という、おおよそ4時間位のルートを回りました。

 

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ささやきの小径は、このようにずーーっと平坦で楽ちんです。

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奥社・九頭竜社については別の記事でご紹介させていただくので割愛。

 

奥社・九頭竜社を後にして向かったのが、天命稲荷→鏡池です。

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歩いていると、突然赤い鳥居がずらーーーっと出てきます。

鳥居は新しめで、2015年以降に建てられたと思われます。

現在進行形で信仰を集めているようです。


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 お社の中に入れます。中は畳の座敷になっていて、お線香台等がおかれていました。

お賽銭を入れて、御祈願させていただきました。。。

 

天命稲荷のご由緒は下記の通りですが、昭和37年からと、割と新しめなんですね。
下記の文面にもありますが「誰か祭るものものなし、汝 必ず奉斎せよ 」とあるように、神様はお祀りされることを望まれます。
人からの敬虔な祈りが神様のエネルギーになり、それによって人の願いをかなえる力を発揮して下さるのでしょう。神様と人は持ちつ持たれつで霊的進化をなす、という一面があるんでしょうね。

 

天命稲荷大明神出現之縁由


    [お稲荷(いなり)さん=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)=稲荷神(いなりのかみ)=倉稲魂神(うかのみたまのみこと)]


  昭和37年8月、戸隠公明院主姫野公明師は、長野市若穗、今井恵雄氏の懇望により、五輪の供養塔を建立せられた。塔に刻まれている霊魂不滅の四字は、元梨本宮妃殿下の御筆である。同年8月14日のこと公明師は、この供養塔の前で読経しているとき突然御魂の御告げがあって、曰く 我等一門の長は戸隠の人塚に鎮まっているが、誰か祭るものものなし、汝 必ず奉斎せよ 如何なる願望も叶うであろうと、公明氏は驚き急ぎ帰山。

  戸隠宮司に尋ねたところ、宮司曰く、人塚のことは古来より文献に顕著であるが、幾百星霜(いくひゃくせいそう)経た現在では所在不明とのことであった。公明師は、遂に同年11月17日この人塚を求め、道なき山野をここかしこ跋渉して、ようようにして塚の前にぬかずくことができた。ここは背後に戸隠雲峰が迫(せま)り、諸々の雲島は中天に舞い、囀り、あたかも仙人の住居かと見違う神秘(しんぴ)なところである。

  その時再び公明氏師にお告げがあって [我等を天命稲荷に斎祀(さいき)せよ]と、驚いて声も出ない。見上げれば神代さながらの御姿その儘に、頭には星を頂き、右手に鉾(ほこ)を持ち、左手には炎々(えんえん)たる火焔(かえん)をかかげ、項(うなじ)には勾玉を掛けておられ、足下に80有余の翁(おきな)のかしずくのを見る。その不思議は言語に絶した。公明師は、その尊容を石像に型取りこの霊地に奉斎(ほうさい、神仏を愼んで祀{まつ}る)せられた。

  昭和42年この隣地に図らずも森林植物園が造成され、昨日までは人跡絶えた不毛の地に、今日はまた見事な遊歩道が開発された。天狗の業(わざ)かと見違うばかり、不思議にして是れは偏(ひとえ)に天命稲荷の導き給えるところと、公明師は深く敬神(けいしん、神をうやまう)の念に打たれた。むべる哉。戸隠はその昔、仁明天皇嘉祥(かしょう)3年、奥に一宇建立の皇恩(こうおん、常にこの無限の献身)に溶したが、是れが善光寺奥の院である。さて、時は移り昭和41年若穗の供養塔を中心に2万4千坪が県の企業局に依って住宅団地に造成された。

  この地域内には合計18基の古墳が点在しておりその処置に就いて学術的にも検討されたが、この知れない神霊不滅の雄呼びが、公明師の耳に達しない筈はない。公明師の思えらく、1200年永きに渉り若穗の一角に埋もれし神々は、訪れ祭る人もなくどんなにか今日の日を待ちわびられたことであろう。然も久しい風雪の苦しみも忘れて公明師も戸隠の人塚に導かれた。その神慮(しんりょ、神のおぼしめし・神のみこころ)の程恐多い極みである。是れ正に宿縁の然らしむる処神霊未だ地落ち給わぬの印(しるし)である。

  そもそもこの天命稲荷大明神とは、伊勢の外 宮豊受大神(とようけたいじんぐう)である。この神に金剛不滅(こんごふめつ、広宣流布という仏の仕事を成しゆく「心の財( たから)」もまた、金剛にして不滅なのである)の威神力(いじんりき)を以て我が国土の平安を守護され、一切大衆の願望に応え日本国中その恩恵に浴しない者はないという。故にこの神に熟心に祈ればその感應(かんのう)もあらたかで、一には諸病を除き、二には福徳を得せしめ、三には敬愛を満てしめ・・・・・十九には一切の諸願成熟円満せしめるものである。

  神に口なく人をもっていわしめる如く、屈なくも戸隠若穗の天命稲荷大明神と現れ時代の脚光を浴びるに至ったのは誠に千載一隅(滅多に訪れそうもないよい機会・二度と来ないかも しれないほど恵まれた状態)にして大衆身心の糧となり最上無比の甘露味(かんろみ)を満喫せしめ、必ずや霊妙不思議の神力を現し法験を垂れ給うことであろう。・・・昭和43年7月17日(姫野 公明師祭文より)

 

 

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